東京地方裁判所 昭和44年(ワ)10808号 判決
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〔判決理由〕一 (事故の態様と責任の帰属)<中略>
(1) (事故現場状況) 本件事故現場は、車道幅員12.80米両側に三米の歩道あるアスファルト舗装の千川通りと呼ばれる東西道路上中央線より南側車線上にあり、右道路と、北西より南東に通じる目白通りと呼称される道路とが、交差形成される、信号機により交通整理のなされているところの交差点西端より西方へ約一八米、道路南側歩道より北方へ約1.8米の地点にある。なおまた事故地点より西へ四ないし五米程度進んだところから、千川通りとほぼ直角に南方に進む幅員6.5米の舗装道路が始り、T字形交差点となつている。現場付近の道路はおおむね平担で、当時路面は乾燥していた(右のうち、本件事故発生現場は、千川通りと目白通りで交差形成される交差点より約一八米西方にあることと、現場付近には千川通りより南方にすすむ道路があること、は当事者間に争いない)。
(2) (加害車の進行状況) 被告は加害車を運転し、千川通りを目白通り方面に向つて東進し、右両通り交差点手前二〇米程度のところに至つたのであるが、折柄千川通りを東に向う車は極めて多く、交通は渋滞し、三ないし四分信号待ちしてみたものの、容易に目白通り内へ進出できるようには思われなかつたため、被告は、前掲6.5米道路を南進しようとの意をかため、ハンドルを右に切つて、道路中央線をこえ南側に進み、加害車を転回させて6.5米道路に進入しようとしたが、道路北側の中央線寄りの地点より発進していたため、旋回し切れず、千川通り内南側歩道寸前で一たん停車し、続いてハンドルを左に切つて後退し、道路中央線を跨ぐ形で、前部を若干西方に向け再び停車し、さらにハンドルを右に切り、いわゆる切り返えし操さによつて6.5米道路に向つて発進したのである。しかし、その際、千川通り南側車線は交通量が少なく右中央線に至るまでの加害車の進行は、対向車等により妨げられることはなかつたことなども手伝い、中央線上で、発進直前、丁度目白通りを北上し、交差点を左折して、交差点西端より千川通りに進入してきていた被害車を認めたものの、その速度は二五粁前後で、さしたる高速で進行しているのでないことを認めるや、自車との相互距離を明確に把握する処置を怠つたまゝ加害車としては、被害車の到達以前に、6.5米道路内に進入し切れるものと、合理的な根拠もないのに、軽率にも判断し、その後は左方から進行してくる被害車の動静にまつたく注意を払わず、主として右前方交通事情に注意を集中し、方向指示器によつて右折合図をなしたあと、直ちに時速約五粁で前進を始め、加害車よりは高速で進行してきている被害車が、事故地点まで至つたところに、その事態にまつたく気付かないまゝ、右折進行してきて、加害車左前部を、被害車後部右側ドアに衝突させるに至つたのである。
(3) (被害車の進行状況) 原告は、被害車を運転し、交差点を左折し、千川通りを西進にかゝつたのであるが、千川通りに進入直後、加害車が道路中央線を跨いで停止中のところを発見したのであるが、加害車がスポーツカーという車種であることと、信号待ち渋滞中の車群に斜めに接するような形で停車していたことから、状況を誤り判断し、加害車は前部を北東に向け、目白通りに進入しようとしているものと考え、その後は加害車の動静に注意を払わず、前記時速約二五粁で西進し、事故地点に至つたとき、加害車と衝突するに至つている(以上のうち、被告運転の加害車は、千川通りで目白通りに向けて信号待ちをして、待ち切れなくなり、6.5米道路に入つて南進しようとして、右折し6.5米道路に入ろうとしたが、一度に右折し切ることができず、いわゆる切り返えし操作をなすため、ハンドルを左に切つて後退し、道路中央線を再び跨いで車の一部はもとの千川通り北側半分にもどつていたが、中央線をこえて6.5米道路に進入しようとしたため、折柄千川通りを西進し事故地点に至つていた原告運転被害車の後部右ドアに、加害車左前部を衝突させるに至つたこと、は当事者間に争いない)。
右のような事実が認められ、右認定に一見反するかにみえる原告本人尋問の結果の一部は、尋問結果全体を<証拠>とあわせ検討すると、右認定の趣旨に反するものではないと判断でき、次に原告本人尋問の結果の一部は、前掲証拠と<証拠>と対比すると、事実を正確に反映したものとはいえず、その他、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
右認定事実によると、加害車を運転していた被告は、自動車運転手として遵守すべき注意義務、即ち、自車の進路前方に注意を怠らず、自車の進行に障害となりうる人車の迅速な発見に努め、障害となりうるものの存在を察知し、これとの衝突等の危険を避けうるような安全な運転方法をとるべき義務を怠り、千川通り中央線付近よりの加害車の発進直前認めた被害車の速度がさして高速でなかつたことから、自車との相互距離さえ把握していなかつたのに、軽率にも、自車が進行し終つたあとを、被害車は通過していくことになるものと、考え、しかも、その後は被害車の動静にまつたく注意を向けず、加害車を発進、時速約五粁で進行させた過失を犯したため、加害車よりは高速で進行してきている被害車が、事故地点まで至つたところに、その事態に気付かないまゝ右折進行してきて、本件事故を惹起するに至つていることになるのである。
右のとおりである以上、加害車を訴外株式会社ジャパン・レンタカーより賃借し、自己のためこれを運行の用に供していたことを争わない被告は、運行供用者として、運転に当つていた被告自身に、事故発生につき過失あることが肯認しうることになるので、その余について判断する迄もなく免責の認められる余地なく、本件事故について損害賠償責任を負わなくてはならない。
しかし、他方前記認定事実によると、被害者である原告にも、本件事故発生について、自動車運転手として遵守すべき、前方注視・安全運転義務に違反し、加害車の車種と停車位置から、これを北側車線に進入しようとしているものと見誤り、被害車の進路に進入してくるおそれはないものと考え、その後は加害車の動静に注意を払わず進行するという過失を犯していること、および右過失が本件事故発生に寄与していることが認められる。
そして本件事故における被害者の右過失を斟酌すると、被告は原告に対し相当の損害額のうち八〇%に当る金員を賠償すべきものと判断される。
二 (損害)
(一) (事故と傷害の関係)
原告が本件事故により、いかなる傷害を受け、その回復のため、いかなる治療を必要とする事態となつたかにつき検討する。
原告が、本件事故のため、受傷した事実は当事者間に争いなく、次に<証拠>鑑定人朝倉哲彦の鑑定の結果に弁論の全趣旨をあわせると、次のような事実が認められる。
原告は、昭和二年七月二二日生の男性で、本件事故前、時折通院して医師の診療を受けることはあつたものの、いわゆる持病と称せられるような病疾はなく、外見上むしろ健康に恵まれているかの如くみえていた。しかし、原告の年令に加えるに、学生時代サッカーなどかなり過激に行なつていたことなどが積重なり、頸椎、胸椎および腰椎に変形性脊椎症という肉体的特徴を客観的には有するに至り、右症状は急性なものでは勿論ないため、当人としてはこれを自覚する迄には至つていなかつたが、既に症状としては、なんらかの心理的あるいは肉体的な契機さえ加われば、当人に不全感をもたらすものとなつていたのである。ところで、原告は本件事故により脳震盪症、頸部挫傷、前頸部挫傷、右小指切創等の傷害を受け、事故当日より昭和四三年九月三日迄通院、同月四日より同年一〇月二一日迄入院、その後翌四四年九月一三日迄通院し、事故によつて受けた傷害に対する外科的治療は、これをもつて終了し、右同日の時点で、事故による傷害は他覚的には左半身知覚鈍麻と頸部運動制限を軽度に後遺するのみで、かつ、右後遺症のため若干労働に当り常人に劣るところがあるとしても、その劣等度は一五%を上廻ることなく、しかも、この症状の回復のため今後外科的療法を必要とすることなく、主として生活馴化と社会復帰意欲にまつところが多い事態となつたのである。しかし、原告は、前記したとおりの変形性脊椎症があつたため、これが客観的な症状それ自体は事故前後でなんら変わりはなかつたが、事故直後予期したよりも、はるかに治療が長引き、しかも事故受傷部位は完治しないことなどから、自己の健康に常時不全感を懐くに至り、昭和四四年後半期に入つてからは明確にはとくに腰部の障害として自覚するところとなり、右症状は自覚後ほとんど改善されるところがなかつたため、本件事故による傷害に対する外科的治療終了後も、あるいはコルセットを利用するなどして、通院生活からぬけ切れず、結局、事故後本格的な勤務生活に戻つたのは、昭和四六年四月六日であつた。
以上のような事実が認められ、右認定に反する<証拠>の記載の一部は、同号証その余の部分を含めそれ自体そして、同一作成者の手になる<証拠>や、鑑定人朝倉哲彦の鑑定の結果と対比すると、推定的要素が多分に含まれ、これによつて、右認定を覆えすことはできず、そのほか右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定事実によると、原告の主として腰部関係の障害は、事故後既に客観的に存在した変形性脊椎症が、自覚されることにより生じたもので、しかもその自覚は、事故による受傷の回復が予期したよりもはるかに遅れたことから、原告が二次的に懐いた不全感に発しており、これをもつて、事故と相当因果関係をもつ障害とみることはできないことになる。結局原告の本件事故により受けた傷害は、昭和四四年九月一三日をもつてその外科的療法を終り、その後は心理的療法と、そしてなによりも原告本人の社会復帰への意欲、社会生活への馴化により、その労働能力回復が期待できる段階に至つていることが認められ、かつ、右認定の傷害部位、現存症状そして原告の年令、その有する技能に鑑みると、原告は前記時点で自賠法施行令二条別表一二級に該当する後遺症状を有するに至つたものの、その労働能力喪失の割合は、一四%とみるのが妥当であり、その喪失状態の継続は、右時点より三年間とみるのが相当である。 (谷川克)